- 日本古来の「こと」と大陸伝来の「コト」の
融合宮廷音楽の中で花開く遺跡の発掘などの研究調査から、日本では3世紀頃すでに琴の原型となる楽器が存在していたことが知られています。当時の「こと」は権力者や支配階級の象徴として、祭祀などで使われる神聖な道具、という扱いでした。
8世紀、奈良時代を迎えると、楽典などとともに中国大陸からも「コト」と呼ばれる楽器が日本に伝えられ、両者は融合・多様化していきます。平安時代には貴族がたしなむ教養のひとつに数えられたといわれます。
その後、複雑化してきた音楽理論や楽器の体系を日本風に整理する改革が行われました。※1「こと」や「コト」をベースにした複数の楽器は、箏(そう)、和琴(わごん)、琵琶(びわ)に集約されていきます。
※2「源氏物語」にも「そうのこと」「きんのこと」「びわのこと」という記述が見られます。仮名文学など日本的な感性が花開いた国風文化のなかで琴は、宮廷に仕える上流階級の女性の間でも親しまれるようになりました。※1 宮廷での音楽活動を管轄していた雅楽寮が中心となって音楽理論や楽器の体系を整理した楽制改革のこと。 ※2 改革前の雅楽の体系は、奈良時代の音楽家である源博雅(ひろまさ)が編纂した「博雅三位横笛楽譜(はくがのさんみおうてきがくふ)」などに伝えられています。